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初モノ続きだ。今日から、夜便で出発です。
それなりの経験を重ねてきていてもまだ未体験、な”行ったことない自慢”のトルコ。
ギリシャの内陸に踏み込むのも新たなり。
さらにはこのあとの行き先の準備も同時進行で、受験生並の夜更かし続きでした。
宗教、世界史、そして旧約聖書の世界にどっぷり。
さぁぁあ、これから荷造りだ。
今後の予定
6・18~30 ギリシャ&トルコ
7・5~14 シリア・ヨルダン
ついにパスポート更新。 中欧・白アスパラガスのシーズンこの時期、あそこらへんに行くとお目にかかることのできるグルメ。
このテのツアーに含まれている食事にはめったに出てこない。
まずはブダペストの市場でこの白アスパラガスを発見した。
日本のスーパーで見かけるアスパラガスの3倍~5倍は太いもので、太陽に当てないので白いまま成長する。
缶詰でも見かけるけど、やはりナマを調理してもらったものは格別だ。
ウィーンでのフリー食の時、お客さまをお連れしてみんなで食した。うーん、舌つづみ。
こともあろうに先日の体調崩しのときに服用した薬で胃を荒らされたらしく
わたしはツアー中、食事として口にしたのはスープだけだった。なんとか食べなきゃ力は出ない。
でもこの白アスパラとプラハのビールは別♪
「ビールは中世の時代、栄養源だったんです」 なんてね、、、そしたら、ホント、オナカ痛いの、治った。
おひとり参加のAさん、出発前のごあいさつの電話の際、プラハに思い入れがあるんです、とおっしゃってた。
初めての海外旅行とのことで、乗り継ぎの空港でカフェでご一緒した。
なんでも、以前奥様がプラハに行ってみたいと言いつつ、その願いを叶えられないまま逝ってしまわれたとのこと。
だから、今回は彼女の想いを伴ってツアーに参加した、とお話された。
チェコの田舎はのどかな畑の風景が、なだらかな起伏を描き旅情をかきたてる。
そしてプラハの都市の風景は、いくつもの教会の塔が立ち並び「北のフィレンツェ」とも称されるし、
それに限らず形容される賞賛の言葉は幾多にも及ぶ。
Aさんのデジカメのバッテリー残量が赤を示した。「来る前に一杯にしてきたんです」でも充電器は持ってきていない?
それはそれは・・・大事なプラハ訪問の記憶を頭の中だけに残すだけ、とほっとくワケにはいかない。
幸いメモリーカードが同種だったので、わたしの持っていたものをお渡しした。プラハの印象は息子さんにも伝わるかな。
Aさん、今度はフリーで再訪し、不動産でも探そうかな・・・なんておっしゃってる。
4つ目~・・・は at 健康 (今年の課題か?)NYの余韻は、過ごしてきた時間と全然違ったかたちで現れた。
最後の夜は班全員で夜景見学・・・地下鉄でブルックリンへ。
*週末のサブウェイは路線がいつもと違って電車が入ってくるので要注意です!・・・ なんて軽めのレポートだけしあげてから
晩酌のコロナをぐびっといった瞬間、身体にぼっと火が入った。やけに内臓にしみるぜよ、・・・などと思いつつ寝床に入ったのだが、
火照りは朝になっても続いていた。・・・ 「あ、またきたな」 今年に入ってすでに2度の記憶がよみがえる。
帰国便の中でキャビンアテンドさんにネツピタシートをおねだりした。
「お薬と体温計お持ちしましょうか」 「いいえ・・自然に熱処理するものと考えてますので・・」
なんて、ちょっと抵抗してみたのだけど、”そう申し出たら検温は規則”とあるそうで所詮の強がりもそこまでよ。
「・・・・・・・、、、」
見るんじゃなかった。人ってその数値に少しは支配されてしまうのかもしれない。・・・そして検疫出頭指令。
成田着、コトなく解散、先生とも精算を兼ねてコーヒーごちそうになった後、次回も盛況を祈り解散。
自宅に帰って恐る恐るもう一度計ってみたら、さらに・・・上昇していて・・・・もうそれだけで倒れこんでしまいそうだった。
よんじゅうど。
さすがにこれまでになく深刻な状態。だってそれ以上になったら脳ミソとけちゃいそうだし。すぐ仕事も控えているぅぅぅぅ・・・がしかし、
まずまともな動きすらとれない。・・・なんとまぁ10年以上ぶりで、ドクターに助けを求めに行きました。(あ、エジでを除いてね)
可能性のあるものから検査してもらった。いちおう免疫はあるはずだけど”進化したはしか”か?とか。←やけに気弱なワタシ。
季節外れのインフルエンザか?←すんごい流行おくれ。 万年疲労だから肝臓にもきてるかもしれないしぃ・・・?←そこまで働いていない。
そうそう5月の半分は水の悪いとこで過ごした(あっ川の水も飲んじゃった、蚊にもさされた・・・・)←潜伏期間長すぎ。
・・で、後日「血液検査の結果が出ました、長いので来院してください」、などとおっしゃる。恐ろしげな”長い”の単語が気にかかる。
・・・はぁぁぁぁ、美人薄命と言うしなぁ(苦笑)、まーここらへんでも中途半端にだけどなんか宣告されるのかなぁ・・・と足取り重く出頭すると・・・
一個一個項目を確認していく。 「なぁぁぁんだぁ」 ← *安堵の方ね。
なんのこたぁない、ほとんど規定値クリア!のご通達。先述の花見の後の発熱直後の健康診断で出たチェック事項も今回で挽回~。
ってことはあの(My体内においての)灼熱のカーニバルのような3日間は一体何だったんだ?
「原因はわかりません」 mmm ・・・
NYでよっぽどたちの悪いウィルスにスキを狙われたってことか。(スキのある自分が悪いのだけど・・・)
結果、2つほどの課題は出た。ここらで一度確認できたことで良いきっかけにもなった。
今年から大殺界の始まりでもある。数年分のウミが出るという時期の摂理にも叶っている。立ち止まってみなさいという指令であると受け止める。
ブログ仲間のそうさんから以前の際に励みのコトバをいただきました。「高い熱が出せるってことはエネルギーがあるってことよ」
へぇ・・・エナジーまだ有余っているのでせうかワタクシ・・・いや、過信は禁物だ。いいエネルギーは大事にとっておこう。
(経過としては大人になってからの新記録。3晩高熱に浮かされて、4日目の朝、忽然と平熱に戻る。)
NY滞在中、大きな思想の自由について考え、帰ってきてから個人的な自由について思いを馳せた。
小さな規模の自由だけど、まずは健康ありき、ということにつながった。
いや、付け加えると「ココロの健康」ってとこになるのかな。よからぬ妄想の途上では何かを失うことまで及んだ。
それでも向かい立っていけるかな、という前向きな思考を持てる健全な精神・・・?
・・・・「心も体も一体なのだ。」ということ。
そうこうしてる間にも次の仕事の準備をすすめる。
ありがたいことに会社が「せめて一日でも休息を」と、ツアーの配置換えをしてくれた。この一日分がどんなにありがたかったことか。
会社の配慮に感謝。 明日 4日から東欧へ8日間、行って来ます。
心配かけた皆さん、 もう完全復帰です。 Mちん、ホルモンよか先にソロンタン食べたいな。
最後に父さん母さん、
ほんとご心配おかけしました。味噌汁その他差し入れありがと、おいしくいただきました。
3つ目のフリーダム on 目の前の時間自由、というテーマを置くと、いろんな哲学が浮かんでくるが、あくまで単純な発想で。
ツアー自体は、デビュー年から携わっている一年で一番好きな仕事だ。
相手が学生なので、ある意味保護者さまに変わって「お預かり」している状態なので、きちんと叱ることもする。
日々の仕事は朝、起床と夜、帰着してるかどうか確認の点呼。ツアーデスクに出頭してきてもらい各自の顔を見て名前を確認する。
初日の緊張感はどこへやら、次第に時差に合わせて寝坊する輩を、同行の先生に代わって「なにしとんじゃー」 とせかすのも仕事のうち。
夜、早い子は先に寝ちゃったりしてるけど、ホテル帰りに遅刻したときにも同様。スパルタじゃないので、ちゃんと怒る理由を話してるよ・。
それから、オプション的に研修が設定されてたり、”海外作品展示会”という目的もあって、在籍する学生たちの作品がチェルシーのとあるギャラリーに並ぶ。
そこの前後の設営にも関わる。 おまけとして先生の接待があるが、これは唯一おいしくて適度な贅沢出来るレストランを探す機会。
午前と夕方のツアーデスクの間に担当するエクスカーションがなければ、 エスコートとして新しいエリアを研究しにいくもよし、
エスコートとあれども、休憩を取ることも大事。 ・・・ てな感じで、朝晩と一部の拘束を除けばあとはフリーに過ごせる。
今回は米国のメモリアルデーの連休と後半重なって、どこも大混雑だった。
前半見かけた、スーツをびしっと着込んだニューヨーカーは忽然と姿を消し、おのぼりさん大集合のマンハッタン。
今回は若者に人気のスポット、と呼ばれる界隈を初めて歩いてみようと試みたのだが、どーも地下鉄をノリ越したら違う世界を見ちゃった。
目的をきちんと持たないと、歩き疲れる街でもある。
泥のような状態になって出くわしたのが、公園の中のドッグラン。都会の公園の中に・・・!と新鮮に驚くや、急に癒されるや。
ええなぁ、・・・ 犬を連れずに休憩していたわたしは、あの中に在って違和感な人だったかも。
もとい、学生たちには伝わっただろうか、体感してもらえただろうか、
それぞれの研修の目的だけではなく、離れたところから見る「日本」というもの。
年代の感受性で得られるものはたくさんあろう。滞在の中でインプットやシフトする思考も多くあるだろう。
日本人の美徳、日本での便利さ、逆にそれにとらわれていない他国の寛容さとか・・・対比することで見えてくるものもあったはず。
、、、食事面でもまぁ大きな課題はあるが、せめて吉野家の牛丼は帰ってから食べようね・
「いつかまた、きっと来る!」と熱く叫ぶ青年の数が減っちゃったような気がするのは気のせいかな。
「いつかまた。」をきっと叶えて欲しいなぁ・・・と切に願います。
学生時代の自由、今しかない時間。おおいに謳歌してほしいもんです。もちろん勉強にも。遊びにも。
その最中にはなかなかその自由のありがたさ、とうのは実感できないと思うけど。
ほんとに中身のある、充実した時間を過ごしていってほしいものです。
この学校に同行して7年目。当時の学生クンも今はいっぱしの社会人になってどこかでなんかでそれぞれ活躍しているのだろう。
あの頃の夢は叶ったかな。
2つのフリーダム in N.Y.NY渡航、4度目にして初めて自由の女神を間近に見た。
今回、学生たちから希望者を募って催行されるツアーがいくつかあった中、同行担当があたった
ニューヨーク、いや、アメリカを代表するシンボルのひとつ・・・とはいえ
マンハッタンの一番南端にあるバッテリーパークからの御姿は、ほんの小指ほどのものだ。
ヒトと一緒に写真撮ったら、鉛筆がたってるようにしか撮れないくらいに、近いようで遠いところに立っている。
港からはほんのわずか15分ほどのクルーズでリバティ島に渡ることができる。
アメリカが英国から独立しようとしているときに手を貸してくれたフランス、
「独立おめでとー」と、お祝いに贈った品はなんとどでかいものだったか。
アメリカのシンボルたる所以は、自由の象徴、・・・ フランスのいう自由とはまたちょい違ったニュアンス?
自分たちで勝ち取った自由、でも自由の前には大きな拘束があって、重労働があって、その裏には凛とした自立心、責任感あってこその自由。
苦労したもんね、んでこれからだって喜んで努力するんだもね、・・・ ってな感じの当時のアメリカ人たちの想いをしょいこんでるのだろ。
超個人的ですが、
卒業した高校には校則がなく (あって「下駄を履いて登校してはいけない、なぜなら地震のとき逃げられないから」・・・と聞いたがホントなのか?)
征服も生徒手帳も持たされない自由な校風。学校の中でソフトクリーム食べてたってゆるされちゃう。三社祭とありゃハッピ姿で授業もOK!
ただし存在したのは、「自主協調」「自由であるためには自ら責任を持って行動せよ」という訓えであった。
最初は、校風がちょい似てるよな~なんつうこじつけたいだけのオノボリさん的感情が高いだけだったのだけど、
それ以上に考えさせてくれる課題を投げかけてくれるような感覚。。。を開いてくれた自由の女神像だった。
人種のるつぼ、と言われるだけあって、ほんとに様々な人種が集まっている。
「あぶろえすぱにょーる?【スペイン語話せる?)」と何回聞かれたことか、(顔がそれ系に近いってものありえる)
ツアーデスクの前の売店のおっちゃんはエジプト人だった。
間違えた地下鉄から地上に出たらそこはまるで中国だった。(世界最大のチャイナタウン)
いろんな国の人たちが共存していて、ほんとエキサイトな街だよ、にゅーよーく。
いろんな人たちが、想像もつかない努力をして積み上げていったのだな。中にはとんでもないジャンプアップしたりして。
で、積み上げたもののひとつが、一瞬のうちに崩れ落ちてしまったあの惨事も忘れまい。
そして、もうひとつの自由の象徴が近未来に出来上がると聞いた。
グラウンド・ゼロ地点にバスが停まった一瞬身体が硬直したような感じがして、目の奥がジンと熱くなった。
「爆心地」と名づけられたその地には今でもあの二度と起こって欲しくない悪夢の大惨事で天の人となった方たちの名前が残されている。
僅かながらでもルポ写真も展示されていて、当時のことを忘れないで、ってメッセージを送り続けている。
ここでもアメリカ人はめげなかった、 次にそこに創られるシンボルは、犠牲になった人たちの鎮魂のための緑地帯と、
地上776m(アメリカの独立年が1776年)の大きなビルディング、その名も「リバティタワー」ときた。
自由を何にも換えない、そして負けない強靭なスピリットの象徴だ。
○ッシュ氏を応援する系統でもなんでもないが とにかくアメリカ人。とかく軽く扱われガチだけど、あらゆる面でのタフさ、スゴイな、と思う。
(もーどーしょーもない輩もたくさんすぎるけどさ・・・ドコも同じか・・・)
そう、たまには立ち止まって自分に置き換えて考えてみてみよう、
今、与えられている自由にまず感謝。 そして自由と引き換えにした犠牲と補い、過去はどうあれこれからいつまで続くかな?
P.S・・・. N姐さん、間違って解釈してたらごめんねー
↓ ツインタワー跡地の未来予想ポスター
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