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ハンバーガー研修「アメリカと言ったら、ハンバーガーでしょ」♪
北米に足を踏み込んだときのマイフレーズであーる。
人種のるつぼたるアメリカ、
世界中の食が集まる度合いはニューヨークなんて都会だったら豊富すぎて、何を選ぶかに迷ってしまうくらいだ。
ヘルシーブームにのっとって、寿司に代表する日本食はもはや定番となりつつ
最近はラーメンにしたって、老舗の居酒屋兼業の店のみならず、日本各地の名店がいろいろオープンしてけっこうな勢いの良い反響だそうだし。
このシゴトは全部自由食、
ハレの気分な個人の旅行ではないから、アメリカ版だったらたいてい切り売りピッツァや、デリで量り売り~が多くを占めることになる。
ここ例年この仕事で宿泊しているホテルをちょっと裏手にコーリャンレストランが集まるエリアがあって、会食となる場合はこの界隈を利用している。
合間をぬって一度は行きたいハンバーガー専門店!(マ○ドナルドなどの類ではございませんでしてよ)
とある日に学生さんを送り出すオプションツアーは早朝5時過ぎから始まり、午前の業務は10時ごろにひと段落。
ランチタイムをはさんで、昼時のフリーな時間を確保できそうだった。次の送り出しまで十分な時間がある・・・。
「歩いてない界隈を散策しようと思ってます。」・・・ これにランドオペレーターのIさんが同行してくださることになった。
「散策のメインというか、ポイントとしてランチの相談なのですが・・・」
提案したのは
◇(方面的に)マンハッタンの中華街で飲茶か小龍包でもかじる
◇「アメリカと言ったらハンバーガーでしょ」を実行する。→ さらに2つの案。どっちにする?
・・・☆とある雑誌でマンハッタンベストバーガーの称号を受けたものと、☆老舗のバーの評判高しなもの。(手持ちのガイドブックから参照。)
通称“タックル兄さん”と名づけられたIさんは食に関してはがっつり系、肉大好き系、な志向の方なので、
必然的にもちろんハンバーガーでしょ。とのご選択、「NO1バーガーに行かずして」云々かんぬん・・・
散策ミニミーティングの結果、マジェスティックパーク内にある某ハンバーガーショップがチョイスされた。
街歩きは個人的に実地研修の意味も含めているので、
学生さんにオススメしたい本屋などもチェックしながら目的の23丁目を目指す。
たどりついた公園の入り口にはすでに長蛇の列。
まさかと思いつつその先を見ると、明らかに目的のハンバーガー屋に続いてる。
ベストワンに選考されたのはすでにかなり過去のハナシのはず。
だのに、いまだに人気は衰えることない・・・?とあらば、ますます関心は高まる。
まぁ並んでみますか、待ってみますか。
結果、バーガーにかぶりつくまで所要1時間半。・・・注文するまで75分、受け取るのにさらに15分。平日なのによ?
世界で一番並ぶハンバーショップではなかろうか。
えぇえぇ、がぶっといった瞬間にも顔がほころびましたさ。
わたしがチョイスしたのは一番シンプルなものだったんだけど、(長く待ったんだからもちろんダブル!)
6ドルでおつりがくるくらいのものですが、シングルだと3.75ドル。けっこう良心的なお値段ではないですか。
しかし、ニューヨーカーってそんなに暇人が多いのか? 中にはオフィスワーク中らしい人がまとめ買いしてることも多い。
Iさんいはく、やはりおいしいものにこだわるとこうこう現象をいとわずな人もけっこうおられるとのこと。
ちなみにこの店はフローズンカスタード、ようするにアイスクリームの名声も高い様子。
この長蛇の中、たったひとつのスクープのために、!? 実際注文するとこみたんだもん。
おおっと、デスクに戻らなきゃの時間が迫っている。ジューシィな感触に集中しつつ急いでほおばった。 マンハッタン散策+α - PhotoAlbum 「欲張りツアー」・・・正式名称ではあーりませんが、ちょっと略してボカシ入れ。
昨年までNY班に同行されていたニューヨーク・フリークの○先生が
「これぞマンハッタン!」とシンボルをたどってプランしたオリジナルのオプション参加型ツアー。
今年は◇先生がNY班の同行となり、○先生のパッションを受け継いでこの散策を案内することとなり、
わたしはそれにお供する指令を受けた。
ついでにツアー中の風景を記録として撮影する担当を仰せつかったので、一部いただいてしまいました、Photo Albumに。
あーん、順番もバラバラに掲載されてしまった。ま。それもしかりか。
そのうちにアルバムに説明つげていきます。(過去のアルバムも、なんだけどね、)
参加者リストの目印として、このオプションツアーには「欲」とだけ記されている。
たまたま1班と2班の参加者が連なっていて、リスト上に「欲」「欲」「欲」・・・と連なっている様子が、
「脳内メーカー」みたい、と誰かの発言から始まって、このツアーは通称「欲望ツアー」と呼ばれるようになった。
建物めぐりのツアーは「建」と記されてあって、それにならって「たてまえツアー」などと通称がついたり。
そんな密かなお笑い系お遊び系なひととき~仕事中なごみの時間でもありんした。
コースは、タイムズスクエア近くのメトロの駅を降りてすぐ、ミュージカル「マンマ・ミーア」の会場から始まって、
途中、ビル内の壁画、いわずと知れたカーネギーホールを通過、
美しい装飾が施された外壁を持つ老舗の有名レストラン、などの外観を眺めたりしてアップタウンするうちにセントラルパークの緑が見えてくる。
それからSt.を横切る。途中立ち寄った本屋「lizzori]はガイドさんおすすめの美術書、写真集などが豊富な店。
大きな赤い「e」をシンボルとした彫刻は新宿高層ビル群の入り口に立つ「Love」をデザインした同じアーチストの作品、
それから高級デパート、動物園(もしくは博物館)みたいなトイ・ショップ、を覗き見しながら5番街を横切り、
NY版ソニプラで巨大スパイダーマンに遭遇、隣のIBMのバンブーブースにはムラカミ氏のカッパ像、
最後はコーヒー飲んでしめくくりました。よぉ歩いたわ。
秋だものだってPC本体調子を崩したまんま。あれこれ所用が生じる、夏の間に体力を落としてしまったためか、半分もうろうとした感覚で日々をしのいでいる。
この繁忙期の11月、週末土曜の休暇を2回申請しました。ひとつは中学同窓会のため。もうひとつはレストランヘルプのため。
合間に近畿地方に出陣。秋だもの、国内ツアーもそれなりに?
ひとつは一般ツアーでまだ時期早い紅葉鑑賞旅行。こういう場合は紅葉を愛でる、というよりも「紅葉の名所観光を楽しむ♪」と置き換えて行程をこなしていくのが良い。
森や林や、山全体を見るのではなく鮮やかな一本の木に枝に集中して注目すれば、紅葉鑑賞も楽しめる上、行楽地での大渋滞を逃れるという利点もついてくる♪
モノは捕らえ方次第でありましてぇ、前向き志向を発揮しなくちゃ~ですわい。
もうひとつは毎年恒例の地主さんご一行さまツアー。
メンバーに入れ替わりはあるものの、ほぼ常連さんが顔を揃えるのでなんとも穏やかな気分でお供することができる仕事だ。
10年もの間、国内各地を一緒に訪れた。今回はご一行とつながりを持つ企業の創立者の記念館がオープンしたのでそこに訪れるべくと
奈良は飛鳥の遺跡めぐりと大阪レアな観光地めぐりでした。
道頓堀の「くいだおれ」にて会席料理、メインはたこ焼き教室。お姉さんの説明に添って自分で焼く、というもの。
タネを流したあと、「それではみなさん立ってください~」ナニがはじまるのかと思ったら、音楽が流れてきて「たこやき音頭」がはじまった。
皆、踊る踊る。いはやは、愉快な光景だ。うまいね~踊ってる間にそれなりに焼けてきて、あとはぐるぐる形を整える、で上手に焼けたら認定証をいただいた。
あれ?Yさん、転がしすぎてうまく焼けなくても認定できたの? Dogs&Catsのお見送りトロギールのホテルにいた子猫兄弟。 バスが到着したときにも出発するときにもひょこんと現れた。
中世の頃にはすでにおどろくほどに衛生面徹底していたドブロヴニク共和国。ネコたちはネズミ退治というオツトメで活躍?していたようなのだ。
旧市街の青空市場、教会の玄関でお昼寝、裏道を闊歩、・・・ 町で出くわす機会も多いし、ホテルでお見送りに立ち会ってくれたり。
ドブのホテル見送りネコ。 まるで子犬のように人にまとわりつき、呼ぶと駆け寄ってくる。
(勝手に)ジジ・・・と名づけられてバスが出発するまでドライバーさんやお客さんともたわむれていた。
ニンにいたラブラドールくん、尻尾のハリキリ具合がおわかりいただけるだろうか。
水のはいったプラスチックボトルをくわえる、大きいから落っこちる、それがまるで生き物のように動くからつかまえるのが楽しくてしょうがない様子。
中心の広場で会ったときからブチの彼女を追い掛け回してたけど、そのボトルはプレゼントなの?
ランチの後バスに向かう途中の風景です。そ知らぬ顔でまたわたしたちの先を歩く。ラブくん、ひょいと消えたかと思ったら川でジャブジャブひと泳ぎし、
わざわざ人の近くでブルブルっと水を振るう。またあっちでブルブルっ。確信犯のおちゃめなのか。
彼らもバスの見送りに立ち会ってくれた。ラブは最後にその濡れた体をわたしになすりつけた。やっぱ確信犯か。
・・・てな状況は、ほんのひとこまの記録。
続く。
ダマスカスの夜景シリアの首都、ダマスカス、イスラムとキリストが共存する町でもある。
聖書に登場する”まっすぐな道”の東西に、それぞれの教徒が暮らす地区があるという。
今はイスラム教が多くを占める国だけど、その土台にあるキリスト教の存在もいまだ色濃く存在していて興味深い街だ。
モスクの中に洗礼者ヨゼフの墓があったりするのだから。
「カシオン山の夜景を見たい」・・・と参加のお客さまから依頼がありました。
カシオン山もまた聖書に登場してくる。ここを舞台にしての主人公はカインとアベル。テーマは「歴史上初の殺人事件場所」!
旧約聖書の場面では物騒な所以があるけど、地元の人たちにも人気のスポットとやら、だそうだ。
現地のエージェントさんに依頼し、車を手配してもらった。便乗者も加わり見送りの際にほぼ拉致状態でわたしも同行することになった。
200万の人口を越す街でもある。周辺を含めれば400万以上とも。夜景は想像以上に広い視覚を満たしてくれた。
欧米の街の夜景はオレンジ色の街灯が点在し、優しい星空を彷彿させる。
アジアの街だったら混沌としたネオンがエナジーを放っている。。というイメージ。
それぞれ大都会においての摩天楼は別としてね。
ダマスの夜景は白、オレンジ、ブルーに混ざって数百本のモスクのミナレットが緑色にライトアップされ、
いろんな宝石を散りばめたような夜景が広がっていた。このグリーン、どこでも見たことない光景だ。
緑のライティングの実体は、ドライバーさんが教えてくれた。「ミナレットの数?エリア毎にモスクがあるから、そりゃ千を越すさ」
数百本どころか・・・のエメラルドを振りまいた眺め。
グリーンは、金色とともにイスラムの世界では平和の象徴とされているそうだ。
砂漠(もしくは土漠)が多くを占めるこの土地にあって、水が存在するところにはオアシスが存在する。発展すれば都市が築かれる。
植物が存在するためにも水は生命の営みそのものに欠かせないものだ。
緑色が象徴するのは、樹々のこと、森のことを表すのかな、オアシス=平和、ってな風につながるのかな、
・・・ なんてな妄想をはりめぐらしてました。
(真相はいかに?)
新・世界7不思議発表の夜わたしたちがその日ペトラに着いたのは21時近くのこと。
新セヴンワンダーズ発表のニュースは移動の途中で聞いたのだけど、現地には予想以上の人たちが小さな町中に集まっていた。
ここ周辺に定住するベドウィンたちも大集合、音楽ガンガン流して大騒ぎしている。
町に乗り出してきた車の多さにまずびっくり。バスが思うように進めない。
しかも、タイミングの悪いことにヨルダン王族関係者の到着とあって、ホテルまでの道路がクローズされてしまった。
そんな大騒動の中での到着だった。
ようやく部屋にたどりつけ、一息つくやいなやで「冷房が効かない」とヘルプコール発生。
なかなか来ないテクニカル担当者を待ちながら、ワインをおよばれしつつ国営放送を見ていた。
エルカズラ
シクと呼ばれる、岩が断裂した隙間の細い道をたどった先・・・およそ1.2kmの距離・・・にある通称宝物殿。いや、王族の墳墓といわれる説もあるらしい。
この特別な夜のためにステージが設けられ、発表の瞬間を待ちつつヨルダンの歌手がミニリサイタルやっていた。
砂岩を削ってつくられたエルカズラは太陽の光を帯びてバラ色に輝く。
ペトラ遺跡発見のエピソードはこんなんです。
とあるスイス人がこの付近に滞在中、遺跡のうわさを聞き、長い時間をかけて案内をベドウィンに求めた。
1年以上の懇願をし続け、しまいには自分がイスラム教徒に改修までして、ようやくベドウィンに案内してもらえた。
エルカズラ、王族たちの墳墓軍、ローマ時代の列注道路、さらに岩山をおおよそ1時間のぼっていったところにお目見えするエドディル。
細く暗いシクのその先にこれらの展開がある、
彼はヨーロッパに帰るとベドウィンたちとの秘密にする約束を破り、世界に向けて発表した。
そしてそれが、この夜につながることになる。
零時過ぎ、小さなワディムーサの村に花火があがっていた。
ペトラ遺跡は第2席を持って新世界7不思議のひとつを名乗ることになった。
翌朝遺跡観光中、ロバやラクダ、馬を率いるベドの少年たちに「おめでとー」を言うと、とても喜んでいた。これからキミたち、忙しくなるかもね。
ちなみに王族関係者たちは発表とセレモニーのあと、ヘリコプターでご帰宅されたとのこと。
中欧・白アスパラガスのシーズンこの時期、あそこらへんに行くとお目にかかることのできるグルメ。
このテのツアーに含まれている食事にはめったに出てこない。
まずはブダペストの市場でこの白アスパラガスを発見した。
日本のスーパーで見かけるアスパラガスの3倍~5倍は太いもので、太陽に当てないので白いまま成長する。
缶詰でも見かけるけど、やはりナマを調理してもらったものは格別だ。
ウィーンでのフリー食の時、お客さまをお連れしてみんなで食した。うーん、舌つづみ。
こともあろうに先日の体調崩しのときに服用した薬で胃を荒らされたらしく
わたしはツアー中、食事として口にしたのはスープだけだった。なんとか食べなきゃ力は出ない。
でもこの白アスパラとプラハのビールは別♪
「ビールは中世の時代、栄養源だったんです」 なんてね、、、そしたら、ホント、オナカ痛いの、治った。
おひとり参加のAさん、出発前のごあいさつの電話の際、プラハに思い入れがあるんです、とおっしゃってた。
初めての海外旅行とのことで、乗り継ぎの空港でカフェでご一緒した。
なんでも、以前奥様がプラハに行ってみたいと言いつつ、その願いを叶えられないまま逝ってしまわれたとのこと。
だから、今回は彼女の想いを伴ってツアーに参加した、とお話された。
チェコの田舎はのどかな畑の風景が、なだらかな起伏を描き旅情をかきたてる。
そしてプラハの都市の風景は、いくつもの教会の塔が立ち並び「北のフィレンツェ」とも称されるし、
それに限らず形容される賞賛の言葉は幾多にも及ぶ。
Aさんのデジカメのバッテリー残量が赤を示した。「来る前に一杯にしてきたんです」でも充電器は持ってきていない?
それはそれは・・・大事なプラハ訪問の記憶を頭の中だけに残すだけ、とほっとくワケにはいかない。
幸いメモリーカードが同種だったので、わたしの持っていたものをお渡しした。プラハの印象は息子さんにも伝わるかな。
Aさん、今度はフリーで再訪し、不動産でも探そうかな・・・なんておっしゃってる。
3つ目のフリーダム on 目の前の時間自由、というテーマを置くと、いろんな哲学が浮かんでくるが、あくまで単純な発想で。
ツアー自体は、デビュー年から携わっている一年で一番好きな仕事だ。
相手が学生なので、ある意味保護者さまに変わって「お預かり」している状態なので、きちんと叱ることもする。
日々の仕事は朝、起床と夜、帰着してるかどうか確認の点呼。ツアーデスクに出頭してきてもらい各自の顔を見て名前を確認する。
初日の緊張感はどこへやら、次第に時差に合わせて寝坊する輩を、同行の先生に代わって「なにしとんじゃー」 とせかすのも仕事のうち。
夜、早い子は先に寝ちゃったりしてるけど、ホテル帰りに遅刻したときにも同様。スパルタじゃないので、ちゃんと怒る理由を話してるよ・。
それから、オプション的に研修が設定されてたり、”海外作品展示会”という目的もあって、在籍する学生たちの作品がチェルシーのとあるギャラリーに並ぶ。
そこの前後の設営にも関わる。 おまけとして先生の接待があるが、これは唯一おいしくて適度な贅沢出来るレストランを探す機会。
午前と夕方のツアーデスクの間に担当するエクスカーションがなければ、 エスコートとして新しいエリアを研究しにいくもよし、
エスコートとあれども、休憩を取ることも大事。 ・・・ てな感じで、朝晩と一部の拘束を除けばあとはフリーに過ごせる。
今回は米国のメモリアルデーの連休と後半重なって、どこも大混雑だった。
前半見かけた、スーツをびしっと着込んだニューヨーカーは忽然と姿を消し、おのぼりさん大集合のマンハッタン。
今回は若者に人気のスポット、と呼ばれる界隈を初めて歩いてみようと試みたのだが、どーも地下鉄をノリ越したら違う世界を見ちゃった。
目的をきちんと持たないと、歩き疲れる街でもある。
泥のような状態になって出くわしたのが、公園の中のドッグラン。都会の公園の中に・・・!と新鮮に驚くや、急に癒されるや。
ええなぁ、・・・ 犬を連れずに休憩していたわたしは、あの中に在って違和感な人だったかも。
もとい、学生たちには伝わっただろうか、体感してもらえただろうか、
それぞれの研修の目的だけではなく、離れたところから見る「日本」というもの。
年代の感受性で得られるものはたくさんあろう。滞在の中でインプットやシフトする思考も多くあるだろう。
日本人の美徳、日本での便利さ、逆にそれにとらわれていない他国の寛容さとか・・・対比することで見えてくるものもあったはず。
、、、食事面でもまぁ大きな課題はあるが、せめて吉野家の牛丼は帰ってから食べようね・
「いつかまた、きっと来る!」と熱く叫ぶ青年の数が減っちゃったような気がするのは気のせいかな。
「いつかまた。」をきっと叶えて欲しいなぁ・・・と切に願います。
学生時代の自由、今しかない時間。おおいに謳歌してほしいもんです。もちろん勉強にも。遊びにも。
その最中にはなかなかその自由のありがたさ、とうのは実感できないと思うけど。
ほんとに中身のある、充実した時間を過ごしていってほしいものです。
この学校に同行して7年目。当時の学生クンも今はいっぱしの社会人になってどこかでなんかでそれぞれ活躍しているのだろう。
あの頃の夢は叶ったかな。
2つのフリーダム in N.Y.NY渡航、4度目にして初めて自由の女神を間近に見た。
今回、学生たちから希望者を募って催行されるツアーがいくつかあった中、同行担当があたった
ニューヨーク、いや、アメリカを代表するシンボルのひとつ・・・とはいえ
マンハッタンの一番南端にあるバッテリーパークからの御姿は、ほんの小指ほどのものだ。
ヒトと一緒に写真撮ったら、鉛筆がたってるようにしか撮れないくらいに、近いようで遠いところに立っている。
港からはほんのわずか15分ほどのクルーズでリバティ島に渡ることができる。
アメリカが英国から独立しようとしているときに手を貸してくれたフランス、
「独立おめでとー」と、お祝いに贈った品はなんとどでかいものだったか。
アメリカのシンボルたる所以は、自由の象徴、・・・ フランスのいう自由とはまたちょい違ったニュアンス?
自分たちで勝ち取った自由、でも自由の前には大きな拘束があって、重労働があって、その裏には凛とした自立心、責任感あってこその自由。
苦労したもんね、んでこれからだって喜んで努力するんだもね、・・・ ってな感じの当時のアメリカ人たちの想いをしょいこんでるのだろ。
超個人的ですが、
卒業した高校には校則がなく (あって「下駄を履いて登校してはいけない、なぜなら地震のとき逃げられないから」・・・と聞いたがホントなのか?)
征服も生徒手帳も持たされない自由な校風。学校の中でソフトクリーム食べてたってゆるされちゃう。三社祭とありゃハッピ姿で授業もOK!
ただし存在したのは、「自主協調」「自由であるためには自ら責任を持って行動せよ」という訓えであった。
最初は、校風がちょい似てるよな~なんつうこじつけたいだけのオノボリさん的感情が高いだけだったのだけど、
それ以上に考えさせてくれる課題を投げかけてくれるような感覚。。。を開いてくれた自由の女神像だった。
人種のるつぼ、と言われるだけあって、ほんとに様々な人種が集まっている。
「あぶろえすぱにょーる?【スペイン語話せる?)」と何回聞かれたことか、(顔がそれ系に近いってものありえる)
ツアーデスクの前の売店のおっちゃんはエジプト人だった。
間違えた地下鉄から地上に出たらそこはまるで中国だった。(世界最大のチャイナタウン)
いろんな国の人たちが共存していて、ほんとエキサイトな街だよ、にゅーよーく。
いろんな人たちが、想像もつかない努力をして積み上げていったのだな。中にはとんでもないジャンプアップしたりして。
で、積み上げたもののひとつが、一瞬のうちに崩れ落ちてしまったあの惨事も忘れまい。
そして、もうひとつの自由の象徴が近未来に出来上がると聞いた。
グラウンド・ゼロ地点にバスが停まった一瞬身体が硬直したような感じがして、目の奥がジンと熱くなった。
「爆心地」と名づけられたその地には今でもあの二度と起こって欲しくない悪夢の大惨事で天の人となった方たちの名前が残されている。
僅かながらでもルポ写真も展示されていて、当時のことを忘れないで、ってメッセージを送り続けている。
ここでもアメリカ人はめげなかった、 次にそこに創られるシンボルは、犠牲になった人たちの鎮魂のための緑地帯と、
地上776m(アメリカの独立年が1776年)の大きなビルディング、その名も「リバティタワー」ときた。
自由を何にも換えない、そして負けない強靭なスピリットの象徴だ。
○ッシュ氏を応援する系統でもなんでもないが とにかくアメリカ人。とかく軽く扱われガチだけど、あらゆる面でのタフさ、スゴイな、と思う。
(もーどーしょーもない輩もたくさんすぎるけどさ・・・ドコも同じか・・・)
そう、たまには立ち止まって自分に置き換えて考えてみてみよう、
今、与えられている自由にまず感謝。 そして自由と引き換えにした犠牲と補い、過去はどうあれこれからいつまで続くかな?
P.S・・・. N姐さん、間違って解釈してたらごめんねー
↓ ツインタワー跡地の未来予想ポスター
ボルネオ紀行・・・痛快ラフティングわたしとAOとのでこぼこコンビ(でっかいのとちっこいの)はアウトドア系が共通の嗜好で学生時代からのつるみだ。
今回のバケイションは久々に、お得意の「海なのだー山なのだー」を実行してきた。
とことん貧乏症な我らは時間さえも貪欲な旅、初日深夜到着にも関わらずAOは容赦なく翌朝早朝からの活動を示唆するのだ。
拠点はマレーシア、ボルネオ島のコタキナバル。目的はそれぞれにアクティビティを満喫!だ。
AOはキナバル山登山を実行した。その間わたしは熱帯雨林の森を歩きオンセンにひたりオランウータンに会いに行ってきた。
一緒に近くの島のビーチでまったり~もした。・・・島にトレイルがあればざくざく歩くことも欠かさない。
AOが浜辺で昼寝してる間もずっとドザエモンかのごとくシュノーケリングにいそしんでいたら、しまいにゃ誰もいなくなった。
サピ島のビーチには岸の際にもたくさんのおサカナがたむろう。ニモ♪にも遭遇した。
ヒトに突進して脚をつつくヤツもいた。「やるかー?」たかが一匹のされど勇敢なサカナに勝負を挑んだりする@海中にて・・・
最終日にトライしたのは、パダス川のラフティング、こいつが今思い出すと一番の痛快であり、まぢサバイバルな体験だった。
迎えのバンで1時間半の移動。さらにサバ州鉄道でトコトコ2時間。拠点の駅で着替えの準備、
そこからまた10km先に鉄道で移動してスタート地点にたどり着く。
朝7時に出発して13時ごろからようやく川下りが始まる。なんとも大陸的なスケジュールだ。
選んだのは上級コースで、幸いにも(?)前日夕刻の大雨がスリル度をさらに増したようだ。
激流のポイントは7箇所。4番目にさしかかるときにガイドのダイちゃん(通称)が言う。
「次は”Washing machinです。もしボートから放り出されたらボクらがレスキューします」・・・そう言い放ってほどなく、
実際に、
ボートは。転覆した。
どうやってボートから投げ出されたのか、その一瞬の記憶はない。次の瞬間には頭上にボートがある、ゆえに濁流の渦中。
バンの運転手をかねていたレニーくん@ジャイアン(通称)がボートの底から引っ張り出してくれた。しかしまだまだ激流の途上。
「ぷはー」と息吐くやいなや次の大波に飲み込まれ、ミロみたいな色の川の水を飲み込む、また大波にあおられ・・・をしばし繰り返す。
わたしは流れていた2本のパドルをつかんで放すまいと必死だった。
レスキューのカヌーに救助されるまでの時間がなんと長く感じたことか。
激流ポイントを通過しダイちゃんが我らのボートをこいでくる。それぞれ別のボートに救助されたメンバーがもとのポジションにつく。
同乗の輩はマカオからのメンバーだ。「All Right・・・ダイジョーブ,って中国語ではモーマンタイ?」「モーマンタイ、いぇーーーー !!!」
そいからマレー語では?「Tiada Msalah・・・ティアダマサラ」・・・Yeah!!!!!再度に渡ってパドルを重ね、生還(!?)を喜びあった。
10艘近く出動したボートの中で、沈したのは我らだけの災難?だった。
沈したことは今なら言える最大のパフォーマンス?としてAOと語る。「いんやー激しく楽しかったねー♪」いたってノーテンキな会話だ。
別のカンパニーのガイドに言われたさ。「You are the strong ladies」・・・むー・・・いい年こいてあいかわらず勇敢なアタシ達・・・。
トルココーヒーwithレモン珈琲フリークを一瞬硬直させるかもしれない、タイトル。
でもそれはエジに存在した。
2年半ぶり。2度目のエジ渡航。
またしても、そしてツアー3日目にして早々と、その暗黒の時がやってきた。
いいいやぁぁぁ!また、遭遇しちゃったね、地を這うような悶絶の時。(”洗礼”体験談・参照)
「免疫大丈夫説」はあっさりと崩壊した。
これまでアジアやアフリカの僻地系でもなんなりと過ごせた自身があるにもかかわらず。エジにはなぜか通用しない!?
何が原因かは分からない。
「生野菜やカットフルーツは控えましょうね~」・・・自ら、すすんで実行した。
歯磨きもペットボトルで口を漱ぐくらいに配慮した。・・・♪だのにぃなぁぜ~♪ただ腹8分目を守らずの食べすぎが悪の根源か?
ゆえに、結局ツアーの半分の日程をグロッキー@されど空元気、で過ごしたのでした。
「元気?」・・・ある意味人懐こいエージェントアシスタントやホテルスタッフはみな声をかけてくれる。
「ストマックエイクなの」・・・実際は上からも下からも、もっと豪勢な症状。
(お下品な状況をちょいと美しく表現してみました)
今回、身を持って経験したことにより、現地のハラクダシ対策をいくつか学んだ。
転んでもタダじゃ起きない精神!の発揮であーる
身もだえの初日、ホテルのスタッフが、「それならいい香草がある」、と敷地内からひっこぬいてきてくれたのがミントの束。
「こいつをつまむといい。すぐオナカに効く」
・・・ありがとお。
・・・でもね、まだ土がついていて、それがしの水を浴びたのであろう、活き活きとしたその薬草を、洗わずに腹に送り込むことは確信をもとに拒みました。
(そして水栽培して、大事に育てました。)
ひとくちの水すら受け付けない悲惨な胃の状態をガイド氏に相談すると、すすめてくれたのが”レモンをふんだんにしぼった、トルココーヒー。”
ああーん?
レストランのウェイター陣もしきりに「こいつはハラにいい」とすすめてくれた。「郷に入らば郷に従え」だ。
しかし、やはり。
想像とおりで。すら恐ろしい初体験のテイストだった。
大好きな珈琲が、まつたくの別モノに変貌する様であれど「薬と思って飲むべし」と言われたら従うべし。
ある意味で教訓を得た、ということかもしれない。その土地ごとにオリジナルな組み合わせが存在するのだと。
実際は菌を殺す錠剤の薬をいただいて服用した。伴う発熱の副作用なんて、強烈なオナカの痛みに比べればかわいいもんだ。
時間があれば病院で注射してもうらうのが一番なんだけどね。
ちなみに、お客さんたちはほぼ無事だった。
こんもりとビュッフェのナマサラダをプレートに盛って「ちょっとなら大丈夫よね~」などと問いかけられれば
「ちょっとなら大丈夫~♪と念じて召し上がっていただければ大丈夫でしょう」と答えざるを得ない。
そう、気の持ち次第で本来・・・多少はコントロールできるのだろうとも信ずる。いや信じたい。
しかしわたしのストマックはそれを受け入れられなかった。2度あることは3度あるのだろうか・・・
まぁまぁ症状が治まった最終日の夕食onナイルクルーズ。
中身とは裏腹に近日の杞憂に反逆し。お客さまとともにベリーダンスを舞う添乗員なのであった。
帰還、できた。エジプトから息絶え絶え(?)無事帰還。
連日40度を軽く越える砂漠の国。
膨大なる歴史とファラオのストーリーに耳を傾け、遥か遠い時代に遡ることが出来るような遺跡が至るところに存在する。
時間の流れの中でときにナイルの洪水にさらされ、吹き荒れる砂にいつしか埋もれてゆき、
今は石に刻まれたモチーフが物語るだけではあるが、彩色された神殿がどんなにか美しいものであったか、
その時代にタイムスリップして見物してみたい、としきりに感じていた。
エジの文明、ってこれもまたすごいインパクトだよね、
ピラミッド、クレオパトラetc・・・。コドモでも知ってるキーワードがたくさん。
「ツタンカーメン王の呪い」なんてのは小学生雑誌でもたびたび取り上げられていて、本気で怖かったもの。
でもその彼はわずか18歳で亡くなった、という話はガイドさんの案内で知ったことだ。
とある方が言うには、「あまり事前の勉強をしなくても、文化のことはそれなりに誰もが知ってる国」、だから今回、来ましたって。
ここは、アフリカの大地にある。
そしてイスラムの国でもある。
それらのイメージより、何をおいてもエジプト文明という大きな顔が幅を利かせている。
今回のツアーは、びちりと”充実した観光”なんてフレーズがあって、毎日てんこ盛りの行程だった。
いや、もりだくさん、というツアーは今ではびびることなく、至って普通の現象にあるのだけど、
ただでさえ高い気温と強い日差しに体力勝負を挑むようなとこにきて、打ち合せの段階で早くもぐったりきていた。
合間に東北ツアー@早朝5時半スタンバイ、翌夜23時解散・・をはさんで、・・・の出陣。またもやぐったりだ。
そう・・・あの、前回の添乗で自らの身に起こった、”洗礼”の身悶えるような体感の記憶は、払拭するよう自分に言い聞かせた。
「だいじょぶだいじょぶ、一回経験したら、あとは免疫が出来るって言うじゃーん!」
・・・って誰が言ったんだ!?
(続ぅく~・・・・・!)
ブルージュの忠犬ここは運河の街。
ミニクルーズで中世の家並みを川面に近い目線から眺めることができる。
19世紀に魚市場があったとこからほどない、とある邸宅が近づくと、
「あそこにワンちゃんがいるんですよ」とガイドさん。
運河に面した窓枠に頭をのせたラフ゛ラドールが外の景色を眺めていた。
三年くらい前から、いつもいつもそこから顔を出してるんだって。
モーターボートは足早に過ぎてく。ほんの一瞬た゛け、その姿が見えた。
なんとなく切なげ・・・
いったい何を思って変わらぬ風景と行き交うボートを眺めているのか、問いかけてみたくなりました・・・
↓ クリックしてみて♪ ブルージュにてひとことめーる。
こちら本日夏日のごとく。予想気温26度、体感温度30℃近く?想定外の暑さです。ココ樺太よりずっと北なのに~
どうやら高気圧を連れてきてしまったみたい。
今日はブリュッセルとアントワープ@フランダースの犬ゆかりの街を訪れました。
フォトアルバムは速報版。また帰国したらまとめます。
ヘ゛ルギービールで栄養補充中ナリ♪
日帰りツアーの哀歌朝4時半起床、22時半帰宅。日帰りツアーの並。
平均的な日帰りのツアーは大きくテンポが変わってしまうので、たった一日といえどもかなりの消耗量だ。
よくある募集型で、いろんな人が集まる形態のバスツアー、
しかも日曜の設定となったら、お友達同士の参加が多くを占め、おそらく積もった話で盛り上がっている。
車内に絶え間なく繰り広げられる音声多重の会話。これがわたしにとって苦痛でならない。 たいしてガイディングに耳を傾けてくれてるワケでもないから、どーぞごゆるりと、、となりがちだし、
さほどの緊張感もなく、揺れ心地のよいバス席に身を任せている時間が長いゆえか
早起きの余波が消えることなく一日がほにゃ~と過ぎてゆく。太陽がまぶしい。 どほして、車内でみなあれほど大きな声で会話ができるのだろか不思議なのだ。
今日のドライバーが新しい発見を教えてくれた。
「あーやってしゃべる人は笑い声も“アハハハハ~ハハ”と最後の音程があがるのだ」 ・・・ ふむふむ。なんとなく納得。
添乗はなくとも”こちとら忙しいのだ”ムードで来ているここ数日だけど、
行楽シーズンパンパン状態で、桜ツアーとなったら話は別。いちおう喜んでお花見の仕事を引き受けた。
今日、明日と湘南界隈の桜名所めぐりのツアーに出陣ナリ。
いーんじゃない、桜はスバラシイ見ごろだ。・・・でも明日は下りの天気か。
今日は鎌倉ではちみつソフトクリームとむらさきいもコロッケをつまみ食いした。
明日はブリュレソフトクリームキャラメルソースを楽しみとしよう。
称名寺の桃の花
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不機嫌なフライト~美しさの裏側という一面帰国後に知ったこと、2つ。
20日からモスクワ・クレムリン展が都内で開催され、世界フィギアスケートの大会が始まる・・・そうではないですか。
帰国のアエロフロート便は19時半近くの出発。アイススケートのロシア代表選手の女性と一緒だった。
安定飛行となるやいなや、隣席にロシア人たちがどやどや集いはじめて持ち込み禁止のはずのシャンパンで乾杯なんぞを始めた
ご一行の機内での宴はとどまることを知らず、消灯タイムになってもどでかい笑い声が響く。
クルーの説明によれば「ドクターたちのコンファレンス」だとか「バレエの日本公演一団」だとかの複数説あり。
それともフィギアスケート大会遠征のスタッフたち・・・? 乗務員に大クレーム申し立てのあと、しばしトイレ待機で時間を経たはずなのに、席に戻ってもそのパーティはまだ続いている。
「何にも変わってないじゃない!!」とご一行のコームダウンに立ち会っていたクルーに再度文句つけた。
「マダム、こちらの席へ」と比較的被害のなさそうな席を案内してくれたのだけど、わたし個人の問題じゃないのだぞー!、
ええい、他のパッセンジャーのみなさん、なんでもっと怒らないの???
クルーの長い説得?の末、機内パーティは落ち着いた・・・かのごとく見せかけただけで、
ほどなくするとま~た、大声での会話とアルコールの酌み交わしが始まる。再度、クルーに申し立てするもイタチごっこ~なーのですね。
コールサインを鳴らしてもクルーも来なくなった。
その後はダイレクトにやつらに抗議する、静まる、また調子のってくる、頼む静かにしてくれ、朝まで攻防戦が続いた。
日本人クルーによると、バレエなりオーケストラなり、一団の舞台は素晴らしくあろうとも、
機内での過ごし方は毎度の大騒ぎで、裏側の評判は悪しきものだとのこと、。今回だけの問題ではないらしい。
浮かれる気持ちも分からずではないが、お願い、せめてこの限られた空間では安泰の時間を過ごさせておくれ・・・
今回の帰国便、
シートの読書灯は故障して点灯しないので、読書もレポート作成も出来ない上、映画もツマラナイ、背後では高らかなイビキが飛行中エンドレス・・・
わたしにとっての史上最悪のフライトとなりました・・・
フラな気分、バレエな気分フラダンスとバレエ(共にもどき♪)
保育園児時代、年に一度のお遊戯会でそれぞれ踊った記憶がある。
年少さんのときはそのバレエもどきを演った。
年長さんが担当するフラダンスだけは遣りたくないっと当時心に決めていたのだが、
こともあろうか年長になったときそのフラダンスの、しかもど真ん中の立ち位置に抜擢された。
これもフラダンスもどきの踊りで、いまだにかすかに歌詞まで覚えている・・・
♪お尻をふってみんなで踊ろ、ゆ~めのハワイのレイ踊り~♪
んー・・・今でも踊れるかも。
ハワイクルーズ「Pride of America」号の中で、ハワイ親善大使によるフラダンス講座にお客さんと一緒に参加した。
滞在中3回ほどあったのだろうか、わたしは初日にしか顔を出せなかったのだけど、
最終日には卒業ダンス披露会なんてのがあって、のぞいてみると、あらら、みなさん素晴らしい上達度。
初日にはひとつひとつでおぼつかなかった動きだったのに、しっかりと音楽に乗って一曲の踊りを完成させている。
それぞれムームーなんかの衣装とレイの首飾り(これも講座中のてづくり)、でばっちりキメちゃって、
ハワイでは自然界に宿るスピリットの存在を大事にしていて、山や海などからのパワーを授かるといった精神がある。
フラダンスはもともと宗教的に神様へささげるものであり、言葉を持たない古代には手話的な役目も果たしていたそうだ。
フラのゆるやかな動きは太極拳や気功のように、おだやかにエネルギーを潤滑させるような意味合いを持ってるのかも。
些細なことに動じない、優しくかつ穏やかかつ大地のように強い精神力を養えそうじゃない?
わたしも、「もどき」ではないフラをきちんと踊りたいなぁ・・・
・・・なんてな想いの途中で、今度はロシアに繰り出すことになり、ツアー中にはバレエの鑑賞の機会があった。
友人たちの中にはバレエ経験者が数人いる。彼女たちは揃ってその立ち姿、姿勢が美しい記憶がある。
鍛錬された筋力のたまものであろう、
恐れ入りながらわたしもしばし姿勢が良いとお褒めの言葉をいただいた。
「踊りでもやっていたの?」・・・と美しすぎる想像力とは全くの無関係で、肩コリコリ背中コリコリ症ゆえ、かすかに体を張ってるだけのこと、、(苦笑)、
かつて脚のリハビリの際に、いっそお稽古しちゃう?なんて妄想が発生したっけな。
今回は予定されていた演目が変更となった。幸いにも「白鳥の湖」だった。
プリマドンナのたおやかな動きに集中できて、睡魔が立ち入るスキなどなかったほどだ。
感化されたつもりになった添乗員・静の誘導は
「さあ参りましょう」も「それではおやすみなさいませ」もバレリーナのごとく優雅に指の先まで振舞ってしまってみたりする。
ロシア的アドレナリン・・・突然の出動指令で訪れたのは2大都市。サンクトペテルブルクとモスクワ。
両都市ともに滞在中の気温はマイナスには届かず、ロシアの春到来を感じてきたが、
一方で地球温暖化の現象のひとつをここでも強く認識した。この国の今年の冬も例年に比べて雪が少なかったそうだ。
それでもほんの1,2ヶ月前はバナナで釘がうてる氷点下の世界なんて平気に到達しちゃうようなこの北の地によくまぁかの大帝国を築いたなぁ、と
ロシア王朝のとてつもない大きな権力は、多大なる遺物たちが現世のわたしたちを驚嘆させてくれる。
サンクトペテルブルク、ホテル裏手のフィンランド湾も街の中心を流れるネヴァ川もまだ凍っていて、ここが極寒の地であることを彷彿させる。
3年前に都市建設300周年を迎えた街は、ロシアの都市というよりもヨーロッパを意識したというもくろみもあって華やかなイメージ。
そしてモスクワは大都市らしく市内至るところ平日の大渋滞に遭遇し、点在するこれまた荘厳なる建築物を右に左にと忙しく目を楽しませてくれた。
今回モスクワのクレムリン博物館を見学した。
別名「武器庫」と「ダイヤモンド庫」、名前は物騒だけど、ロシア大公、ロシア皇帝たちの宝物殿のことで、膨大なお宝コレクションを展示している。
大自然を見てもそうなんだけど、すごいものを見たときには「ため息をつくほどの」と表現されるが、
「スゴイ!スバラシイ!」のレベルが一定を超えると思わず笑っちゃう、ってな現象がしばし生じる。
この武器庫とダイヤモンド庫が見ようによっちゃ、その別の意味での「笑いの宝庫」だった。
ロシア帝国中心人物たちや大司教たちの宝石をちりばめまくった衣装・・・「ウエスト43cmの結婚式のドレス(*エカテリーナ2世15歳時着用)」
金銀琥珀宝石100%でつくられた食器・・・聖書の表紙にも宝石だらけ、
馬車を引く馬の装具にもこれでもかこれでもかで飾り立て、1台ひっぱるのに30頭近くの馬力が必要というほどの馬車自体とんでもない装飾・・・
そのうちのひとつはあまりにでかすぎて角を曲がるのに苦労し、一度の出番しかなかったそうだ。
時代錯誤体験として、タクシー代わりにあの馬車を走らせたら、、日本の人力車以上に楽しいだろうなぁ・・・。
映画でも漫画でも見たことない(←こっちがまねっこの架空の世界なのだけど)ような豪華絢爛さに、
皆から発する感嘆の声も過去最高(静の比による)のアベレージだった。
その、「別の笑い」が止まらない・・・。
現世の庶民感覚からしたら「アリエナイ」贅の中につっこみどころを見出している、という感じ方もあろうが、
「愉快」な気分になれるほど、豊かなアドレナリンを放出させてくれる要素がたくさんだったのね。
@@@ 武器庫は写真撮影禁止でデジカメを預けての見学です @@@
エカテリーナ宮殿しかり、エルミタージュ美術館しかり、でも豪快!な豪華がたくさん詰め込まれたロシアツアーでした。
星空ウォッチング おまけってなわけで、さらなる翌夜はお客さまサービスをすることにして、とにかく毎晩たらふく食べている食後にお散歩を提案した。
湖畔にある「ワイルドライフパーク」とやらに保護鳥のタカヘ@NZ独自の飛べない鳥でテアナウのシンボルにもなっている、青い羽が美しい。 がいる。
日中同行したガイドさんに聞くとその施設までホテルから歩いて20分か30分くらいとのこと。
ホテルのフロントスタッフは「25分!」と言い切った。
しかし言われたとおりに湖畔を歩くもいっこうにたどり着けない。さすがに21時半を過ぎるともう真っ暗で町の明かりももう遠い。
闇の怪しいご一行。安全管理として適当ではないと決断する(それにたどりついたとしても暗くてモアポークの声しか聞こえないだろう)
みなさま、「散歩ができただけでいいよー、ナマのポッサムも観られたしねー」と快く承諾くださり、(きっとみな同じくもうええやろって思ってたのだろ)
ブッシュの散策路を引き返した。
樹で覆われた道を抜けると空がひろがったので
「では、先日のおさらいをしましょう」とポプラの上の南十字星をたどる。
またさらに歩いてポプラ並木が切れると、あらら、ポインター付の南十字星がまた現れた。
そう、「にせ南十字星」にまんまとひっかかってしまっていたのだ。
おや?一番後ろから来ていたHさんがまだそのクロスを探している・・・?
「えっと、あの2つの星からこうたどって、いち、にぃ、さん、しぃ、つなげると左下がりの十字架のように見えるやつです」
「あー、南十字星って4つの星だったのね」
・・・・・ンーー、イマ、ワカッタンカイナ・・・
もとい、
この地にいる間に南半球の真実を知っていただけてヨカッタ。ヨカッタ。
帰り道はすっかり夜の闇が降りてきていて、また天の川もよく見えた。
せっかくなので、サザンクロスを眺めながら、みなで後ろ向きに道路の真ん中をしばし歩きました。
やっぱこれもアヤシイ光景だったな・・・。
これがタカヘ、(のでっかい像)
↓
星空ウォッチング その3 テアナウにてマックノート彗星
クイーンズタウン在住のらくだオヤジさんのHP。マックノート彗星を追いかけた軌跡。写真いっぱい!
星空って、無条件でとても静かに内面を満たしてくれる。
ブラックホールの論理に関して頭の中にブラックホールができてしまうかのようなわたしだから
決して天文学の知識うんぬんとかいう高尚なレベルに達してないので、
ただひたすら何も考えずに見上げて星明りを浴びる愛好会@チームひとりです。
友人と八ヶ岳に星を見に行ったとき、
立って見上げてる場合じゃないでしょとお互い暗黙で、駐車場に寝っころがってしばし星空鑑賞を楽しんだ。
東京の空じゃ見える星を数えられるほどだから、こういうときこそ全身で星浴するのだ。
星たちがさんさんと送ってくる静かなパワーを充電させるかのごとく。
テカポの山の上でだって、ほんとはそうしたかったけど、ここではシゴト中という理性に屈した。
天体を見ているとその果てしなく広い世界に感ずる。
地球なんてこれっぽっちの大きさで、
星たちの歴史から見たら、人間たちの一生なんてまたたく瞬間にも及ばない・・・
あわわ、そこから先には進めない。
さて、場所をぐーんと移動して、ミルフォードの玄関口に当たるテアナウで翌夜を迎えた。
今回のツアーは、わたしたちのグループの他に山岳愛好家御一行さまもスタートから同時進行していた。
日本から一緒の添乗員同行ではなく、クライストチャーチのガイドさんがお供をしていた。
その現地ガイドのKちゃんと、テアナウで彗星を探しに行こう、と夜中に繰り出す約束をしていた。
彼女もまだ今回の彗星は見てないという。
夕食後に名物のツチボタルで”洞窟内の星空”を見学したあと、長い一日の拘束から解放され
同じく御一行さまから解放されるKちゃんからの連絡を待っていた。
Kちゃんはテアナウ在住の友人とコンタクトを取っていて、彼女が彗星探しをヘルプしてくれる、と段取りを都って入れくれたのだ。
ほどなくで連絡が入り、ロビーでお目にかかった。「そこらに飲みに行くか、それともウチに来ませんか?」と。
なんでも、Tさんのだんなさんがおっきな天体望遠鏡を買って庭で星を観測することが出来るという。
実は、二人でスターウォッチングのビジネスをまもなく始動するとかで・・・!
お宅におじゃますることになり、その裏庭に設置してある望遠鏡でダーリンさんがいろいろな星の説明をしてくれた。
ジュエリーボックスやらブラックホールやら、ここでも講義が始まった。思いがけない楽しい展開だ。
でも一番の目的はコメットさん・・・Tさんが双眼鏡を持ち出し空を見渡している。
「あった、あった!」 TさんからKちゃにそしてわたしに双眼鏡が手渡り「あひゃー!」な声が連発した。
レンズ越しに尾をなびかせる星を、ついに観ることができた。「この目で」ではなかったけど・・・
なぜだか、尾っぽがついてるだけで愛着を感じてしまったわたしらでした。
18人のお客さん、ごめんねー、添ちゃんだけで今宵楽しんじゃった。
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